親愛というのは
それのみが独立して存在するものではなく
義務めいたものや試験めいたものを帯びるものでもなく
相手が大切にしている物事を自分も大切にしたいと思い、
相手が許さない物事を自分も許したくないと思う、
その思いのこと。
正面へ提示する「もの」でなく並び歩く「こと」。
あの人が私を大切にしてくれたから、私も私を大切にしたい。
並び歩いてくれたことに感謝して
これからも並び歩きたいと思うから。
親愛というのは
それのみが独立して存在するものではなく
義務めいたものや試験めいたものを帯びるものでもなく
相手が大切にしている物事を自分も大切にしたいと思い、
相手が許さない物事を自分も許したくないと思う、
その思いのこと。
正面へ提示する「もの」でなく並び歩く「こと」。
あの人が私を大切にしてくれたから、私も私を大切にしたい。
並び歩いてくれたことに感謝して
これからも並び歩きたいと思うから。
人に感謝すべきこと。
私がうれしく感じるのは、ささやかでも私を「大事に思ってくれた」ことだ。
私を尊重しフォローしてくれた、その気持ちに感謝したい。
私の心の奥へ届いてるのは相手のその「気持ち」である。
私を一瞬でも応援してくれた人がいたら、そのことを私は決して忘れたくない。
一生のうち、幾人からそういうものを受け取れるだろうか。
逆も言える。
これまで自分は、見栄としての善行を差し出したことはなかったか。
これからは打算やムリなく、自然に心を込めたものだけでいこうと思う。
表面的な行動の奥の、そうした親愛のやりとり。
そのまわりに「絆」や「仲間」といったものが生まれてくる。
それらの言葉は好きでなかったし、今なお胡散臭いとも思っている。
ただ、それはそれで一つの自然にはちがいない。
応援してくれた「心」に感謝し、残りは全て自分の責任として背負う。
そんなふうに生きたいと最近思う。