2020年10月27日

気持ちに感謝

人に感謝すべきこと。

私がうれしく感じるのは、ささやかでも私を「大事に思ってくれた」ことだ。
私を尊重しフォローしてくれた、その気持ちに感謝したい。
私の心の奥へ届いてるのは相手のその「気持ち」である。

私を一瞬でも応援してくれた人がいたら、そのことを私は決して忘れたくない。

一生のうち、幾人からそういうものを受け取れるだろうか。


逆も言える。
これまで自分は、見栄としての善行を差し出したことはなかったか。
これからは打算やムリなく、自然に心を込めたものだけでいこうと思う。

表面的な行動の奥の、そうした親愛のやりとり。
そのまわりに「絆」や「仲間」といったものが生まれてくる。
それらの言葉は好きでなかったし、今なお胡散臭いとも思っている。
ただ、それはそれで一つの自然にはちがいない。

応援してくれた「心」に感謝し、残りは全て自分の責任として背負う。

そんなふうに生きたいと最近思う。


2020年6月19日

奔流のなか


繊細すぎるであろう私が
健康な人々の自由でポジティブな思考・言動に抱いてきた印象は
一般人がサイコパスに感じるそれにおそらく近い「唐突」「脅威」である。

それほどまでに感じる隔たりが、いつも私を恐怖させた。
恐ろしいものが普通なものとして提示される日々の中、
私には自分が感じる恐怖の意味、あるいはその存在の認識さえ、長い間曖昧だった。

まわりがいかに問題なく回っていようが
「自分が恐怖している」ということは紛れもない事実であり、
そしてとりわけ目を向けるべき事実であった。

自分の認識がマジョリティと共有される保障は全くない。
かつ、その共有されていないという事実がそう分かるよう示される保障もまた一切ない。

世界のその保障のなさに対する徹底的な理解こそ
「人(私)には人(私)の"片づけるべき順序"がある」という重要事実に到達するための第一歩だった。


2020年4月2日

習慣


人間は習慣の生き物である。そのとおりだ。

習慣は私が管理するものだが、一方で習慣が私を管理してくれるという側面も重視したい。
やればいい・やれば終わりではなく、やっただけ返ってくる。
習慣を整理するだけで、生活の諸々の判断や実感などが良くなる。
これは紛れもない事実だ。

細かい思考の整理は休みにして、習慣の改善に力を入れてみる。
(これは省エネにも繋がる。)
万策尽きたように思える状況であっても、習慣の整理から突破口が開けることは多いように思う。

習慣を経由しながら全体が正しい方へ進んでいく。
そのような流れを意識したい。


2020年3月5日

静止

 
やめるべき事をやめよう努める時間と

すべき事をしようと努める時間

それらと別に 第3の「何も為さない」時間を設けたい。



2019年11月28日

今日


今日1日で
なにかを完成させることはできないかもしれない。

けれど
今日を「昨日と違う1日にする」ことは確実にできる気がする。



2019年5月27日

自己主張をやめれば静けさがやってくる。



他者の考えに振り回されないためには 自ら主張をやめることだ。
主張しようと思うから まわりの考えに意識がいく。外部との擦り合わせ等を考える。

「自己主張」はわがままに見えて、実は周囲の同意や承認に配慮している「律儀」な側面を持っている。
本当にわがままな人間は、主張する前に実行してしまう。

まわりから距離を置くために必要なのは、他者を負かすことや自己称賛ではない。
「説明」を持ち出さず静かにやり切る心の構えである。




2019年5月20日

3つのどれか


人間の全活動は、下記のいずれかに当てはまる。

1 力の温存 (ラクをする・休む)
2 誇りの増強 (威張る・ドヤる) 
3 リフレッシュ (はしゃぐ・発散)

複数の並行はあるが
これら以外のことはしない。

この事実は、誰もが「特殊な善意」も「特殊な悪意」も持ち合わせないということの根拠でもある。