2018年7月10日

自分にできること


人は「能力」というものをほとんど持たない。
「環境」と「本能」によって作られた「スタイル」を有するだけである。

人にはそれぞれ「能力」があり、それを拡大することで物事や人生を切り開いていく、そうかつての私は思っていた。
しかし多少長く生きてつくづく思うのは、人には「スタイル(=我流)」があるだけだということ。

なるべく広い視野を持つよう努めた時も、最大限に慎重になろうとした時も、
最終的な判断を下したのは「我流のスタイル」だ。
人はそれしか使えない。

スタイル形成に大きな影響を与えたのはやはり「環境」である。
たまたま放り込まれた環境によって、運命的支配を受けていく。
そのそれぞれの環境で生き延びるため(=本能)に身につけていく処世術の集積こそが
「その人」を形作っていく。

みんなのヒーローにはなれない。そんなものは居ない。
それを誰もがどこかで悟り、言わば「誰かのヒーロー」を目指すことを新たな目標にしていく。

私は私になるだけである。
私がすることは、どんなに小さなことも「私にしかできないこと」で
私の全ての言動には私の人生の集約されている。
人はそれぞれが尊く、レベルの差などない。

「能力」についての幻想が解け、それと同時に
人間は丸ごと尊いということが分かった。




2018年6月29日

「ありがとう」の前に「うれしいな」



人に何かをしてもらった時、礼を言うべき状況だから言うのではない。
嬉しいから、自然に感謝の言葉に出る。

ありがたいと「思う」前に、うれしいと「感じる」。
「とるべき行動」を考える前に、自分がどう感じているか確かめる。


どんな時も、自分の心の声にしっかり寄り添いたい。



2018年5月18日

無題


世界中さがしても、完璧な人間はいない。

むろん私の回りにも。

完璧でない私が、完璧でない人達から少しずつ手を差し出してもらい、力を借りてきた。

実のところ感謝しかない。

今日また恰好つけずに頑張りたい。



2018年5月16日

野山


なにか「良い感じのもの」を探して、毎日、一日じゅう野山を駆け回った 

しかし一度も町へ下りなかった。


2018年5月9日

拾い上げる言葉。


目の前にぶら下げてもらったニンジンを追いかけ、手に入れたかどうかについての物語。
そこからは心を動かされない。

自らの凡庸さを受け入れただけ、止まりの物語も同様だ。

踏み抜いてはいけない薄氷を踏み抜いた者、
その言葉の中にしか聞くべきものを見い出せなくなってしまった。


2018年4月19日

通り道


うつ病になると「何1つまともに出来ない」と思いがちだが、それは誤解だ。
正しくは「何1つそれまでと同じスピードで出来ない」である。

試せば分かるが、いくら時間をかけてもいいことにして行動すれば、たどたどしいながらも健康時と「同じルート」で、「同じレベルの納得」を重ねながら判断・行動ができる。
以前と同じスピードでやろうと思わなければ、質的に同じことができるのだ。


うつで凹むのは、自分の行動における「遅さ」と「ミス」との認識だ。
この際に、「これまでの自分」と比べて低下しただけのものを「全壊」したかのように捉えたら、それは正しくなく、悲観が過ぎる。

たしかに「全壊」ではないにしても、動揺は小さくないだろう。
しかし動揺により更に「ミス」をしやすくなる悪循環こそが、うつの悲劇のだ。


前述した「ゆっくり確認しながらやれば、まずまずの感触でミスも少なくやれる」ということを忘れてはいけない。
「遅くても良いからちゃんとやるモード」で普通の生活をすることが、うつ脱却の最短コースだ。


正常に残った回路を用いてじっくり行動すると、うつの悪化要因である「身体の神経の誤用」が最小で済む。
これが、うつ対応の基本にしてほぼ全てである。


ただし言うまでもなく、そのモードの導入には犠牲も伴う。
贅沢な時間の使い方をすることにより、外部との連携にはトラブルが生じ得るだろう。
しかしそれは病の長期化を防くためには止むを得ない、否、すすんで払うべき犠牲である。
基本的には開き直るのが正しい。
まわりへの感謝を心の中に一筋保てていれば良いのである。




2018年4月17日

問題ない範囲


「自分が好きなようにする」という言葉から直ちに「わがまま」を連想するようなら潔癖すぎだ。

好きなようにやってもまわりに迷惑がかかるとは限らない。
「問題がない範囲」というものは当たり前に存在している。
その範囲内は自由でいいのだ。
問題が生じて初めて「それはわがままだ」ということになる。

遠慮しすぎも、自他を無用に窮屈にするのだ。