2018年10月19日
2018年10月17日
趣味
それなりに趣味というものがあった。
美しいものが好きだったと思う。
そこそこに自分なりに探求し、楽しみもした。
美しいものを発見したり
「美とは何か」についての考えが一歩進んだ喜びを密かに噛みしめた夜、
私はそのことを誰かに伝えたかった。
私はそのことを誰かに伝えたかった。
2018年9月25日
2018年8月6日
美の終着地
「年齢よりも若く見える」が好きでない。
おっさんというべき年齢ならば 見たからにおっさんであればいい。
明らかに若ぶったのは勿論、この人いくつなんだろう?と問いを抱かせるのもナシだ。
訊けば雰囲気どおりの年齢、ついでに言えば周りに馴染んで目立たない。
そのような、目に入ってこないような障りの無さこそ「品」であり「美」だ。
ノイズを発しない。
ノイズは、余計なものを捨てないために生じる。
見え方だけの問題ではない。
言動などについても同様だ。
2018年7月10日
自分にできること
人は「能力」というものをほとんど持たない。
「環境」と「本能」によって作られた「スタイル」を有するだけである。
人にはそれぞれ「能力」があり、それを拡大することで物事や人生を切り開いていく、そうかつての私は思っていた。
しかし多少長く生きてつくづく思うのは、人には「スタイル(=我流)」があるだけだということ。
なるべく広い視野を持つよう努めた時も、最大限に慎重になろうとした時も、
最終的な判断を下したのは「我流のスタイル」だ。
人はそれしか使えない。
スタイル形成に大きな影響を与えたのはやはり「環境」である。
たまたま放り込まれた環境によって、運命的支配を受けていく。
そのそれぞれの環境で生き延びるため(=本能)に身につけていく処世術の集積こそが
「その人」を形作っていく。
みんなのヒーローにはなれない。そんなものは居ない。
それを誰もがどこかで悟り、言わば「誰かのヒーロー」を目指すことを新たな目標にしていく。
私は私になるだけである。
私がすることは、どんなに小さなことも「私にしかできないこと」で
私の全ての言動には私の人生の集約されている。
人はそれぞれが尊く、レベルの差などない。
「能力」についての幻想が解け、それと同時に
私は私になるだけである。
私がすることは、どんなに小さなことも「私にしかできないこと」で
私の全ての言動には私の人生の集約されている。
人はそれぞれが尊く、レベルの差などない。
「能力」についての幻想が解け、それと同時に
人間は丸ごと尊いということが分かった。
2018年6月29日
「ありがとう」の前に「うれしいな」
人に何かをしてもらった時、礼を言うべき状況だから言うのではない。
嬉しいから、自然に感謝の言葉に出る。
ありがたいと「思う」前に、うれしいと「感じる」。
「とるべき行動」を考える前に、自分がどう感じているか確かめる。
どんな時も、自分の心の声にしっかり寄り添いたい。
2018年5月18日
無題
世界中さがしても、完璧な人間はいない。
むろん私の回りにも。
完璧でない私が、完璧でない人達から少しずつ手を差し出してもらい、力を借りてきた。
実のところ感謝しかない。
今日また恰好つけずに頑張りたい。
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