「体験」に毒は含まれていない。色もない。
「感情」も同様。そのなかに毒素や危険物は含まれない。
怒り、悲しみ、あらゆるストレス、それらはみな「身体感覚を無視する不快感」に名前が付けられたものだ。
身体感覚をまんべんなく感じ、その中心に居続ける…その、安らぎがあり心地良く力に満ちた状態…そこを離れようとする時、われわれの体内には心許ない「不快感」が生じる。
それらの感覚が種類に応じて「怒り」「悲しみ」「不安感」「焦り」「嫉妬心」などとそれぞれに呼ばれているのだ。
トラウマが生じる現場にあるのは「悲劇」ではない。
「身体感覚の無視」だけである。
同じ出来事によって傷つく者もいれば傷つかない者もいる。
その体験において「当事者が」「身体感覚を無視したか否か」だけが問題だ。
そこでの展開は、当事者それぞれの性質によりパターンが異なる。
あらゆる体験は、「身体感覚と同化しながらの体験」と「身体感覚を無視しながらの体験」の2つに分けられる。
前者が多いなら問題ない。
後者への偏りが、一時の不快と、悪くすればその後にも続く混迷、すなわち人生のあらゆる「満たされなさ」へ続く入り口になるのである。
つい先日コメントしたものです。またコメントというか、ご迷惑と思いつつもwhite-grayさんのご意見を聞きたく。少し長くなりますので、2つに分けますね。
返信削除20年以上前に不安型神経症になりました。今で言うパニック障害です。身体感覚の無視、すごくわかります。私はネガティブな感情を感じる時に起こる身体感覚を感じるのが嫌でそれを排除していた結果パニック障害になった気がします。当時は発作時も強烈な恐怖と身体感覚がありましたが、音楽を爆音で聴いたり、思い切り口の中を噛んだり腕をつねったり別の刺激で身体の不快を感じたくないがために別の刺激のエネルギーをぶつけて対処していました。
その後運動や筋トレをしてパニック障害は寛解したのですが、鬱傾向で不安定な精神状態は以前としてあり、今もその気質です。
それから10数年後、色々な本をよんだり勉強して、自分には感情や感覚を受け入れることが大事なんだと気づき実践していきました。なるべく不快な感情もそれに伴う身体感覚もきた時は状況が許す時は身体全体を不快感にダイブする勢いで感じてるようにしていました。ただ、自分にとってかなりストレスを感じる状況になったとき(家族が目の前で大変な状況になるなど)、自分の精神キャパシティを越えるのを感じひたすらそれを排除せず感じていたら、気絶してしまいました。後で調べたら迷走神経反射で急激に血圧が下がった結果そうなったようです。過去そんなことが2.3度あり、どうすべきだったのかな〜と思いました。white-grayさんはどう思われますか?倒れそうな危ない感覚はあるのでその状態になったら感覚は受け入れつつ、その場に座り込むなど安全な状態で感覚をうけいれてればよかったのでしょうかね。やはり自分の精神キャパシティを越えるストレスがかかると、自律神経が暴走してしまうのは仕方ないことなんでしょうか。精神が安定したらこう言う発作自体が起こらなくなるのか。このまま、感じるを続けていいものか。こんな性質なので、ストレス過多な仕事や状況からは距離を置いています。
返信削除こんにちは。私のささやかな経験・知見から語れることは限られますが、勇気を出して述べてみます。
返信削除まずパニック障害を運動や筋トレで解消されたこと、素晴らしいです。身体面へのアプローチが有効であったことはやはり注視すべき点だと思います。
私の経験ではその「身体面」、さらに言うと「身体感覚の正常化」の重要性がダントツで一番です。自分の気持ちも含めた内面全てを感受すべき、と述べられることもありますが、自分の気持ちを無視するケースではだいたい雑念へ逃避しており、そうした時は同時に身体感覚が疎かになります。結局はその身体感覚の自覚の希薄化が良くないのだと思っています。『身体感覚を落ち着いて感じられる状態を妨げるような感情などはむしろ拾うべきではない』とさえ思います。
(これは瞬間において流れる「気持ち」についての話で、自分の人生観や好き嫌いなど価値観に関する真の「気持ち」等は根本的なところで常にとても大事です。蛇足ですが。)
不快な感情、まして気絶するほどの負担をともなう状況で心身すべてへのフォーカスは必要ないと思います。身体感覚の感じ方で理想的なのは「力が強く入っている箇所がない状態で/なるべく全身を同時に感じる」だと思うのですが、それは一定以上のメンタル的ストレス下ではほぼ不可能です。
集中力を発揮しやすい環境にして感じることで効果を高める。そこはシンプルな姿勢が良いと思っています。
「かなりストレスを感じる状況になったとき」は、体を張って止める必要があるなどの場合以外はその場から退出するのが理想ですね。もしその場にとどまらねばならないなら、耳と目に入ってくる事柄を最大限スルーする必要があると思いますが、そのためには全身の身体感覚に意識をフォーカスすると、経験上メンタルが受けるダメージを最小化できる気がします。
ちなみに自分の健康を守るための避難やスルーは無責任にはあたらず、むしろ悪化を招きかねない無理な行動の方が自他に対し不誠実です。このあたりの開き直りも、私が悩んだ末に腹落ちして愛用しているスタンスです。
匿名さんほどの苦境に直面した経験はないかも知れませんが、以上が基本的な私の所感です。
その上で、メンタルの長年の不調というのは時折のストレスフルなイベントによってでなく、何気ない日常によって根強く維持され続けたものだと思います。
なので非常時の対応はもちろんですが、日常を身体を意識してじっくり過ごすことも同じ位大切に感じます。
良い日良くない日がありながらも、身体を意識する時を増やし、急がず怠らず無理もせず過ごしていくうちに、心が折れそうになることや発作なども起きにくくなっていくのではないかと思っています。
こんなにも返信が早く、また突然の不躾な質問にもご丁寧に返答していただき、恐縮しておりますが、とても嬉しいです。またとても参考になります。ありがとうございます。
返信削除スルーしてもいい感覚や感情があるとは、目から鱗でした、逆に毒になることも。自分に来た感情や感覚は見逃すまいとイベント発生時に特に前のめりになっていたかもしれないです。というのも、精神的患いが長いにも関わらず、軽症であるからか、つい日常の身体感覚や感情は無視というか、無自覚になっています。常に観察する意識を持つことが大事なことは知識としてはあるのですが真剣になれていないのかもしれません。なので、日常の微細な感覚や違和感を拾うことができておらず、ずっと初心者の域から脱せない。瞑想していても変化がわからず飽きてしまう。ジレンマです。ブレイクスルーにはまだ絶対的な量が足りないのかもしれない。精進します。
運動は本当にいいと思います。幼少時から私は不定愁訴というか、自律神経失調症なのですが、小学生中学年くらいで少女バレークラブに所属して毎日身体を動かしていたらだいぶ良くなりました。パニック障害を克服したのも運動でしたし、運動は精神不調回復のキーになってると思います。最近また運動不足なのでランニングあたりから始めたいと思います。
朝早く返信いただいたようですがwhite-greyさん、眠れてますでしょうか。私もこんな気質ですので長年不眠症なのですが、昨年あたりからCBDオイルを摂取するようになり自然なリラックスを感じており私には大変有用だと感じています。white-greyさんも良かったお試しください、苦いですが。
後もう少しでwhite-greyさんのブログ1.2の2周目読み終わります。たくさん大事なヒントがあります。いつもありがとうございます。また甘えてコメントさせていただくかもしれませんm(_ _)m
断定的な言い方もしていますが、私自身の性分や経験から自分にとって適切な捉え方に行き着いているだけですので、参考にしていただきながらご自分にあった形を見出して頂きたいと思います。
返信削除人間、元気に前だけ見ていたいのが生命力からの指令でしょうから、よほど困らなければ「身体が…」「感覚を…」などと地味に疲れる作業をしたくないものだと思います。問題なければついつい気にせず過ごしてしまう。そこをどう乗り越えるかというテーマは実のところかなり重要ですね。
私もそう深刻でない時も多いので緩んでしまいますが、だからといってずっとこのままで良いかと言えばそんなわけもないので、自分の目標や理想をよく思い返すようにはしています。
かわった時間に返信してしまいご心配をおかけしましたが、たまたまであり、最近はまずは普通に寝られています。でもCBDオイルというのは気なるのでチェックしてみますね。ありがとうございます。
ひたすらに散漫なブログですが、何かの隅の、さらに隅の整理の一助にでもなりましたら幸いです。お気軽な気持ちでお読み下さい。