2017年11月7日
悲しみと名付けられた感触
「体験」に毒は含まれていない。色もない。
「感情」も同様。そのなかに毒素や危険物は含まれない。
怒り、悲しみ、あらゆるストレス、それらはみな「身体感覚を無視する不快感」に名前が付けられたものだ。
身体感覚をまんべんなく感じ、その中心に居続ける…その、安らぎがあり心地良く力に満ちた状態…そこを離れようとする時、われわれの体内には心許ない「不快感」が生じる。
それらの感覚が種類に応じて「怒り」「悲しみ」「不安感」「焦り」「嫉妬心」などとそれぞれに呼ばれているのだ。
トラウマが生じる現場にあるのは「悲劇」ではない。
「身体感覚の無視」だけである。
同じ出来事によって傷つく者もいれば傷つかない者もいる。
その体験において「当事者が」「身体感覚を無視したか否か」だけが問題だ。
そこでの展開は、当事者それぞれの性質によりパターンが異なる。
あらゆる体験は、「身体感覚と同化しながらの体験」と「身体感覚を無視しながらの体験」の2つに分けられる。
前者が多いなら問題ない。
後者への偏りが、一時の不快と、悪くすればその後にも続く混迷、すなわち人生のあらゆる「満たされなさ」へ続く入り口になるのである。
2017年11月6日
2018年 ダイアリー
手帳シーズンの到来である。
来年は、『SANNOアルファウィークリー・B6判』を使うことにした。記入スペースが充実しつつ佇まいは縦長で、好みのバランスだ。
この商品は前から知っており、B6スリムという形状やフォーマット、180度開くところなど、好きなポイントは多かった。
しかしメモページが多いため全体が厚くなり、手触りもゴツい感じになっていて、どうしてもそれに馴染めなかった。
しかしこの2018年版で重要なリニューアルがあった!
何気なく書店で手に取ったところ、感触が今までと明らかに違って柔らかい。
観察してみると、カバーを外した本体の表紙が、ボール紙のような厚めの紙質から薄いツヤツヤのものに変わっていたのだ。
(画像2枚目。下のグレーのザラザラのが旧版。上のが新版。色も違う)。
よくしなるので開閉の感触が柔らかく、トータルの厚みもやや減って、特に背表紙あたりの手に当たる感触が違う。
表紙の素材でこんなに変わるのか、と軽く驚くほどの違いである。
うれしい改変である。今後はこれ一筋でいきそうな予感だ。
2017年10月31日
無かったことにする
心を病んだ人間がいるとする。性格が歪んだ人間でもいい。
その人物が仮に、実際の人生とは異なる「ほぼ何も経験しなかった」人生を歩んだと想像してみる。たとえば健康だけ管理され、その他の体験を限りなくゼロにしたような、特殊な状況で生きた場合などを想像する。無論、成功体験もトラウマ経験もない。
それでもその人は、同じように時が来れば心を病み始めるだろうか?
それはないだろう。何の体験もなしに「(重度の)心の不自由さ」だけが時とともに到来することは無さそうに思われる。「当然だ、トラウマもストレスもなく心が病むわけがない」と多くの人も思うだろう。
日常を生きるわれわれは、「遺伝」「出自」「宿命」などの影響の話ばかりしたがるものだ。しかし上記のように考えてみれば分かるように、人間の「重度の偏り」が出来上がるためには「経験」が必要である。
宿命を呪いたくなることがあっても、実際のところ(遺伝に偏りがあった場合でさえ、)「経験」から影響を受けることがなければ「極端な問題」は生じなかっただろう。
経験が人をつくる、という事である。
経験が人をつくる、という事である。
ただそう知ったところで、人間は経験を重ねずに生きることは不可能で、また過去を変えることも出来ないわけだから、無意味と思うかも知れない。
だからこそ人生は厳しいのだ、と。
たしかに経験した事実は消せず、時間を戻すこともできない。
しかし、過去の経験が持つ「意味」を変えることができれば、過ぎ去った事実に対抗することができる。
過去を「前提」「動かせぬもの」と認識するのでなく、意味を与え直す。
それによって、経験から自身が受けた影響も変化させることが出来る。
それを行えるのが、「瞑想」である。
ポイントは身体感覚である。
そもそも経験とは何か・経験から受けた影響が自身の内に残り続けるのはなぜなのか、
それらの答えは「身体感覚」にある。
経験は文字通り「体験」として身体の神経にその都度追加されながら刻まれていく。
身体をゆったり労わり、身体の感覚に良く意識を注ぎながら過ごすことで、かつて衝動的に自身の身体に刻みつけてきた「防衛のための構造」を解いていけばよい。
心の歪みや癖は、身体面から取り除くもの・取り除いていけるものだ。
絶対的な「宿命」というものは存在していない。
だからこそ人生は厳しいのだ、と。
たしかに経験した事実は消せず、時間を戻すこともできない。
しかし、過去の経験が持つ「意味」を変えることができれば、過ぎ去った事実に対抗することができる。
過去を「前提」「動かせぬもの」と認識するのでなく、意味を与え直す。
それによって、経験から自身が受けた影響も変化させることが出来る。
それを行えるのが、「瞑想」である。
ポイントは身体感覚である。
そもそも経験とは何か・経験から受けた影響が自身の内に残り続けるのはなぜなのか、
それらの答えは「身体感覚」にある。
経験は文字通り「体験」として身体の神経にその都度追加されながら刻まれていく。
身体をゆったり労わり、身体の感覚に良く意識を注ぎながら過ごすことで、かつて衝動的に自身の身体に刻みつけてきた「防衛のための構造」を解いていけばよい。
心の歪みや癖は、身体面から取り除くもの・取り除いていけるものだ。
絶対的な「宿命」というものは存在していない。
2017年10月20日
2017年10月3日
自分を起点に
心が健康な人間は、「(わたし)色」に染まった世界を生きている。
自分のことは単に(わたし)と見て、他者のことは「(わたし)に似た他者」と見ている。
(つまり他者を共感・信頼に足る存在として見ている)
すべて(わたし)を起点にした、「(わたし)色」の世界。
心を病む人間は、(他者)で満ちた世界を生きる。
自分のことを「(他者)に認識されているわたし」とイメージし、他者は単に(他者)。
どちらも(他者)発の、「(他者)から見た世界」である。
自分の色を塗り広げることを楽しむ人生と、自分がいない人生。
その重大すぎる差を自覚さえできぬ悲しさ。
2017年9月28日
2017年9月8日
受け容れる心
人の一生において、心の歪みは年月とともに少しずつ増していく。
天真爛漫さは損なわれ、警戒心は増え、興味は狭まり、考えも固くなり。。。
それに伴って身の回りの環境が楽になっていけば一応バランスは保たれる。
生き方が見つかったり、仲間と呼べる相手が見つかったり、収入が増えたり、大きなイベントが片付いたり。。。
つまり、「適応力の低下」による損失が、「厄介ごとの減少」によってカバーされていけば問題は少ない。
いい会社に入ろうとかいい人・モノに出会おうとかそういうことに早くから取り組めば、そのメリットが得られるかもしれない。「厄介ごと」が早めに片付くメリットだ。
当たり前としか言いようがないそんなことを、年取ってから今改めて考えたりする。
人生はままならないものだ。いや、実際どうなのだろうか。
取り敢えず言えるのは、「人生のままならなさ」を知ることが人生の醍醐味の一つだとは思う。
いや、醍醐味の一つというより最大の醍醐味の一部でなかろうか。
自分の安定ばかりを求める、そんな生き方は、楽しくない・幸福でない未来に向かうほかないのではないだろうか。
自分の安定ばかりを求める、そんな生き方は、楽しくない・幸福でない未来に向かうほかないのではないだろうか。
登録:
投稿 (Atom)