2026年10月8日

占う

 占いが好きな人が身近にそれなりにいて、評判のいい能力者を遠くまで訪ねたりしている。


好きでやってる人に向かってどうこう言えないが、内心そうした能力者の活動が、個人の恋愛・仕事・家庭の悩みなどの相談にとどまっており、かつ必ず有償で行われていることにずっと違和感を抱いている。


個人の悩みに寄り添うのも良いが、もっと大きな問題にその能力を無償で使う気概に溢れる方はいないものか。

災害の予測、行方不明者の捜索、犯罪捜査、科学研究など。そういう話も聞かなくはないが、具体例は途端に乏しくなる。


仮に「行方不明者の居場所を絞れる」能力が私にあれば、警察の依頼を待つまでもなく信じてもらえる協力の仕方を模索する。生活費が必要だというなら、信用されればその方面から得ることも不可能ではないだろう。


人の趣味の楽しみをジャマをする気はない。

ただ、誰かが純粋さにつけ込まれカモにされるなら、それは本質として悪だと思っている。

2025年10月20日

すれ違い


『それ、本当に頑張ってるね。』

と、いちばん注力している事に対して言われたことがない。




2025年9月9日

参加するなら

『 持ち物』『能力』もいいが、それより

『自分と自分の人生をどれだけ好きか』の上位を目指したい。

それはきっと誰もがどこからでも上位入賞を目指せるレースである。


2024年9月20日

正解

「正解はない 」とよく耳にするが、本当はほとんどの場合に正解はある。

「正解を選べないことに罪がない」だけである。

物ごとはしばしばすれ違うけれど、多くの場合、物事は単純だ。

すべきことは、「時に最良な結果を導けないこともある」と肝に銘じて自他を許しつつ、見えている正解を堂々と信じ続けることだろう。



2024年7月24日

秩序

 
ルールというものは
それ自体を守るためではなく「それさえ守れば、その他は自由でOK」と線引きするためにある
と思っておくのが良い。

義務についてでなく、その外にある自由へ目を向けておく。

ルールを守ることは大切だが、それによって自他を過剰に縛らぬよう気をつけたい。


2023年7月12日

脱却

 
「自分よりも苦労している人はいくらでもいる」と思えるようになったのは、逆説的だが「これ以上ない」と感じる苦痛を経験したあとだった。

どうしても引受けねばならぬことがあり、それが理由もなく平気で外からやってくる。
始めからそういうものだったと、世界のありのままの姿を知りようやく盲目から醒め、人の世の入り口に立てた。

自分の恵まれた点に目がいかないうちは、他者の戦いに真に目がいくこともない。
「私よりも苦労している人はいくらでもいる」と言葉では知りながら、実際は他人など眼中にないのが常である。

そういう盲目を、必ず打破しなければならないとも思わない。
打破せざるを得ない状況・運命が存在するというだけのことだ。
けれども、そんな盲目を切り開く道こそ、人間に生まれた醍醐味を最大に感じさせてくれる言わば贅沢さを秘めている、そう感じている。



2023年4月14日

哲学

日常のほとんどの場所に、哲学思想は不要である。
1日の大部分は「いつも通り」で構成され、惰性で過ごす時間が圧倒的に多いからだ。

一方、哲学思想と呼ばれるものの方も、実用的なものはごく一部であるように思う。

必要かつ有用な哲学思想とはどういうものか、それは
『自分しか頼るものがない状況下で「自分がすべき事」へ注力する助けになる』思想である。



2020年12月18日

親愛

親愛というのは
それのみが独立して存在するものではなく
義務めいたものや試験めいたものを帯びるものでもなく

相手が大切にしている物事を自分も大切にしたいと思い、
相手が許さない物事を自分も許したくないと思う、
その思いのこと。

正面へ提示する「もの」でなく並び歩く「こと」。



あの人が私を大切にしてくれたから、私も私を大切にしたい。

並び歩いてくれたことに感謝して
これからも並び歩きたいと思うから。


2020年10月27日

気持ちに感謝

人に感謝すべきこと。

私がうれしく感じるのは、ささやかでも私を「大事に思ってくれた」ことだ。
私を尊重しフォローしてくれた、その気持ちに感謝したい。
私の心の奥へ届いてるのは相手のその「気持ち」である。

私を一瞬でも応援してくれた人がいたら、そのことを私は決して忘れたくない。

一生のうち、幾人からそういうものを受け取れるだろうか。


逆も言える。
これまで自分は、見栄としての善行を差し出したことはなかったか。
これからは打算やムリなく、自然に心を込めたものだけでいこうと思う。

表面的な行動の奥の、そうした親愛のやりとり。
そのまわりに「絆」や「仲間」といったものが生まれてくる。
それらの言葉は好きでなかったし、今なお胡散臭いとも思っている。
ただ、それはそれで一つの自然にはちがいない。

応援してくれた「心」に感謝し、残りは全て自分の責任として背負う。

そんなふうに生きたいと最近思う。


2020年6月19日

奔流のなか


繊細すぎるであろう私が
健康な人々の自由でポジティブな思考・言動に抱いてきた印象は
一般人がサイコパスに感じるそれにおそらく近い「唐突」「脅威」である。

それほどまでに感じる隔たりが、いつも私を恐怖させた。
恐ろしいものが普通なものとして提示される日々の中、
私には自分が感じる恐怖の意味、あるいはその存在の認識さえ、長い間曖昧だった。

まわりがいかに問題なく回っていようが
「自分が恐怖している」ということは紛れもない事実であり、
そしてとりわけ目を向けるべき事実であった。

自分の認識がマジョリティと共有される保障は全くない。
かつ、その共有されていないという事実がそう分かるよう示される保障もまた一切ない。

世界のその保障のなさに対する徹底的な理解こそ
「人(私)には人(私)の"片づけるべき順序"がある」という重要事実に到達するための第一歩だった。


2020年4月2日

習慣


人間は習慣の生き物である。そのとおりだ。

習慣は私が管理するものだが、一方で習慣が私を管理してくれるという側面も重視したい。
やればいい・やれば終わりではなく、やっただけ返ってくる。
習慣を整理するだけで、生活の諸々の判断や実感などが良くなる。
これは紛れもない事実だ。

細かい思考の整理は休みにして、習慣の改善に力を入れてみる。
(これは省エネにも繋がる。)
万策尽きたように思える状況であっても、習慣の整理から突破口が開けることは多いように思う。

習慣を経由しながら全体が正しい方へ進んでいく。
そのような流れを意識したい。


2020年3月5日

静止

 
やめるべき事をやめよう努める時間と

すべき事をしようと努める時間

それらと別に 第3の「何も為さない」時間を設けたい。



2019年11月28日

今日


今日1日で
なにかを完成させることはできないかもしれない。

けれど
今日を「昨日と違う1日にする」ことは確実にできる気がする。



2019年5月27日

自己主張をやめれば静けさがやってくる。



他者の考えに振り回されないためには 自ら主張をやめることだ。
主張しようと思うから まわりの考えに意識がいく。外部との擦り合わせ等を考える。

「自己主張」はわがままに見えて、実は周囲の同意や承認に配慮している「律儀」な側面を持っている。
本当にわがままな人間は、主張する前に実行してしまう。

まわりから距離を置くために必要なのは、他者を負かすことや自己称賛ではない。
「説明」を持ち出さず静かにやり切る心の構えである。




2019年5月20日

3つのどれか


人間の全活動は、下記のいずれかに当てはまる。

1 力の温存 (ラクをする・休む)
2 誇りの増強 (威張る・ドヤる) 
3 リフレッシュ (はしゃぐ・発散)

複数の並行はあるが
これら以外のことはしない。

この事実は、誰もが「特殊な善意」も「特殊な悪意」も持ち合わせないということの根拠でもある。


2019年4月4日

性バカ説


性善でも性悪でもなく性バカ

バカとは盲目の意

人は語り尽くせぬほどに盲目だ

盲目すぎて善や悪を語る以前だ

「人間は、想像していたよりも遙かにバカ(盲目)だ」

これが、長生きして学ぶことの中で最大の知見である。



2019年2月19日

主体


考えがしっかりあることやアクションが早いことなどを「主体性がある」と言う。
そうではあるが、実のところ誰もがいかなる判断をも自分で行なっている。

「沈黙」も「様子見」も、そうすべき何らかの理由を以てそれを選択した。
最終的にはすべて自分が決め、ツケだって払っている。
迷い・遅滞・失敗、そういうものもすべて自らの「主体性」の産物である。

私もそうだ。
常に主体的であったことの証拠に、自らが人並みに“わり”も食ったし孤独も知った。
何ら恥じるところのない「適正さ」だ。

主体性がない者などいない。
これまでの人生を勤め上げたことに対して誰もが胸を張るべきだと思う。

2019年1月15日

集中力


整理整頓をしないのは集中力がある人。

「散らかると集中できなくなる」のは、平凡な集中力の持ち主。

高度な集中力が備わった人は、散らかしっぱなし、片付けの習慣がない。
常に目的一点だけ見るから、片付けの必要がないからだ。

身の回りが雑然としてだらしなく見えるような人の方が、内面がむしろ静かで落ち着いている、
そういうことが多いと思う。


2018年11月1日

親に求めたもの


親に対して、長いあいだ様々なネガティブな評価をしてきて
その認識に従った行動をとったりもしたが

結局、何に怒って何を訴えたかったのかを一言でいえば

「なぜ迷いなく好きでいさせてくれなかったのか」だったと今思う。


2018年10月19日

一致


どんなこと、些細なことでも、

何かを「成し遂げる」瞬間の心の感触は、他者を踏みにじる瞬間のそれと同一であると気づいた。

われわれの1から10までが「生き残るため」であるからだろう。