2017年4月21日
2017年4月14日
当たり前すぎること
あらゆる物事に、大きくかつ複雑に「偶然」が介在している。
明確に比較できるものは一つとして無い。
同じゴールに到った者同士でも、スタートは異なる。
当然より遠い所・低い所からスタートした方がエライ。
しかし誰がどこから歩いてきたか知りようがないし、歩き方にも天性のセンスが介在する。
すなわち比べる場も術もないのだ。
しかしそれでも、否、だからこそ人は何かに向かって努力すべきだ。
その方が、価値ある経験ができるから。
そうすることで人生の醍醐味を味わえるからである。
知るべきは「人を見下すのは本来おかしい」ことと「人に嫉妬する必要はない」ことの2点。
見下しも嫉妬も、それらをバネとして使いたい人が好んで使っているだけの活力剤だ。
とくに内容的に適正なものではない。
ところでだが、一般的に上記のような思考はタブーだ。
タブーと言うか、自他の双方から見て甘えのように感じられがちで、あまり使いどころがない。
しかし、「病人になったらとるべき」思考は、案外そのようなものの中に多いとしばしば感じる。
「立ち位置」を定める能力がフッ飛ぶのが「心の病」で、それに陥ると本当にいろいろな事を一から考えさせられる。
これまで当たり前すぎて気に留めていなかったこと、何度もきいて知っているつもりだったこと、そういう中から改めて大切さに気付くことが多く、あらためて座右の銘になったりもする。
それほど世の中が、そこで生きる者達に色んなことをすっ飛ばして前進することを強いている世界であることの表れかもしれない。
2017年4月7日
仕事をラフに
うつ病的な人は、仕事の業務を「軽視」すべきだ。
業務に対する愛が欠如してよい。
それを不誠実に感じても、心配いらない。
病的な人が気遣いをずいぶん減らしたとしても、一般人よりはそれでも多い。
非礼をして回れというのではない。
心の中の感触の話である。
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