2016年12月16日
M-65 フィールドジャケット
m-65ジャケットの1st(最初期)を買った。
アルミZIP、エポレット無し、サイズRegular-small。
程度・サイズともに良かった。
昔から古着が好きだ。
利潤追求の香りが強いモノ、変な演出が付されたモノは好きでない。
大人になって古着を身に着ける機会はめっきり減ったが、いまだその空気感などは好きだと感じる。
服もドラマだ。
安っぽいもの、品のないものばかりになるのは寂しい。
2016年12月2日
シングルタスク
シングルタスクとは、文字どおり「すること(=タスク)を1つ(=シングル)にしぼる」こと。
複数のことを並行して処理しない。
その習慣が、心身に健康をもたらす。
何年か前に「減らす技術 The Power Of Less」という本で目にしてから(→ブログで記事にした)、ずっと念頭に置いている習慣だ。
複数の作業にあちこち手を付けない。
効率を考えた「ながら作業」もしない。
何かしながら別の考え事をするのも、並行なのでやらない。
1つのこと、そのことだけをやり切る。
集中する!という気合の前に、他の作業を物理的にしっかりやめることが大事だ。
排除するのでなく「ただやめる」。
ここは少し訓練だ。
「他者の思惑に思いを馳せる」ことがストレスの根源であるが、その悪癖を手放せる体質が、上記の訓練で手に入る。
あまりにさりげない習慣だが、しっかり継続すれば確かな効果をもたらしてくれる。
2016年11月11日
Fools rush in
世の中ほとんど全てが運まかせだ。
「幸運に出会ったときに逃さないよう、日々努力せよ」と言われるが、どれだけ「来るか来るか」待ち構えているんだと。ただただ「欲しい」か。食いしん坊か。
いま自分の手元にあるものがそこにあることに、根本的に理由は無い。
単なる巡り合わせだ。
「持っている」という偶然の状態に価値を置くことはナンセンスだ。
高潔さの話がしたいのではない。
無分別な「持ちたがり競争」のゆく末に「それぞれの自分」を許容しない窮屈な世界しか見えず、危惧するのだ。
2016年10月28日
潮目
全身に満ちる「身体感覚」。
つま先……胴体や首……頭……指先……各関節……
われわれが「心」と捉えるものは、この身体感覚を統合して感じているものだ。
その全身の並行した身体感覚には潮目のような偏りがあり、強い・弱い、加速するところ・止まってしまうところ、等がある。
そのバランスが人それぞれなのだ。
潮目、とそのようにこの全身の感覚を海にたとえるなら、その海面には、潮目の偏りに連動して視覚や音の「イメージ」が顔を出す。
言わば「雑念」やら「感情」やらだが、それらのイメージが、人それぞれの潮目のパターンに従って現れたり潜ったり、ループしたり、淀んで留まったり、順序を入れ替えたり…など独自の動き方をして、「その人」の性格やセンスを形成している。
潮目が偏りすぎると、イメージを健全・効果的にコントロールすることが出来なくなる。
例えば、思考力や記憶力の低下、性格の歪み、身体機能や運動センスの低下、などが起こったりする。
そういった潮目の偏り過ぎを矯正し、内面をシンプルな状態にしようというのがマインドフルネスだと思う。
2016年9月30日
無常の内の私とネコ
「人間は何のために存在するか」に絶対的な答えはない。
「運命に意味はあるか」も同様で、ただその運命はその運命だというだけだ。
また、最もスケールの大きい事実が終着点とは限らない。
私たちは「世界全体」ではなく、その中の単なる「人間」であるので、その在り方を考える際には常に「人間に何が必要か」という視点が不可欠だ。
とある天才ネコが、「なぜボクは生きるのだろう、ネズミなぞ反射的に追いかけ、何の意味があるのか」と思い悩んで何日もエサも取らずに弱っているとする。
それに対してどんな言葉をかけるだろうか。
きっと「君はエサを捕まえて誇らしい気持ちを味わい、元気に走り回っているといい。君にはそれが必要なんだ。君はネコで、そういう風に出来ているのだから。」と伝えるしかないだろう。
ネコはネコでいいのである。それ以上でもそれ以下でもなく。
ネコはありのままで十分に可愛いくカッコ良く、つまり完成されているのだ。
人間はどうだろう。
高尚な価値観を見据えて目の前の活力の元に手を伸ばさず、部屋の中で息絶え絶えになっている者がいたら。
人間とネコとは違う?いや違わないはずである。
あくまで人間は、人間という生き物である。
われわれは「概念」や「神様」ではないわけで、あくまで「人間」としての満たされるべき性(さが)を持っている。
そしてその「人間らしさ」の中に、私たちの完成した魅力がある。
人間は比較的高い知性によって、この世界が無常であることに思い至る。
しかし、無常の内に生きるからといって無常観を最上位の概念にすえる必要はない。
無常観にとらわれて、私は大いなる回り道をした。
しかし、「世界がどのように出来ているか」と「私に必要なものは何か」は別の話だと気づけことで、今日こうして生きられている。
2016年9月2日
2016年8月19日
時間が空いたら、何もしない。
仕事やらつき合いやらで忙しい日々が続き、キツかった。
ようやく解放されてきた。
近年の夏はいつもこんな具合である。なんとかならぬものか。
いつまで経っても夏が好きにならない。
「何もしない時間」を私は最も欲している。
時間が空くとつい「あれがしたい」「これも出来る」と考えるが、
そうやってると常に先のことばかり考えた「すき間のない」生活になってしまう。
私には「何もしない」時間が要る。
だから時間が空くと、「待ってました」とばかりに「何もしない」。
何でもやれそうな時こそ、何もしない。
そういう時が最もゆっくり休める。
2016年7月15日
2016年7月1日
相手の目を見て話す法
相手の目を見て話すのが得意でなかった。
いつの頃からか、相手の顔のどこにどのくらい視線を注ぐべきか迷うようになってしまった。
一方、ふとした瞬間にしっかり相手の目を見ている自分に気づいたりもする。
そんな状況で長年きていてのだが、先ごろ解決方法を見つけた。
相手の「片目を見る」のである。
相手の顔を自然に見ている時の自分がそうしていることに気づいた。
迷いだしてからは相手の「両目」を見ようとしていたように思う。
「片目」に焦点を合わせるてみと、相手の顔全体の表情もよい加減で視野に入ってくる気がする。
周りの人を観察してみると、やはり片目をみているように見える。
右目・左目を交互に見たりもしているようだ。
2016年6月24日
パンツ(スラックス)
このごろ股上が浅いパンツが多い。
一時期よりはマシと思うが。
股上の浅いボトムスは長時間のデスクワークには不向きだ。
腰回りの様々な箇所に力がかかり、窮屈きわまりない。
最強(履き心地)ボトムスの条件
・ 股上深め
・ タック入り
・ ウエストゴム(イージーパンツ)
オッサンのパンツやないかい!という声が聞こえてきそうだが、
仰るとおり、オッサンのパンツはさすがに理にかなっている。
ジャージではアレだし、やむを得まい、やはりオッサンパンツか…
と思いきや心配は無用。
今の世の中はイージー仕様のオシャレパンツが今はけっこうある。
トレンドだろうか。
ありがたいことである。
2016年6月17日
今日の音楽: Mondo Grosso 『MG4』
車でよく音楽を聴く。
今日は
Mondo Grosso 『MG4』
(2000年)
大学を卒業するかどうかの頃に発売された。
15年以上も前の作品ということになる。
うるさい音楽を好んでいた、京都に住む当時の私、
京都で活動していたモンド・グロッソに対し「お洒落だなあ…」と
やや距離を置いていた記憶あり。
しかし、やっぱりステキだ。
とくに14曲め 「STAR SUITE Ⅲ.North Star」最高。
続く15曲め、シメの曲としての静かな余韻最高。
2016年6月10日
2016年6月3日
感覚の海
ストーブに手をかざす。手のひらが温かい。
そこから少しずつ手をストーブから遠ざけると、どこかで温かみは感じなくなるだろう。
手のひらの感覚は途中でどうなったか。
無論どうなることもなく、ずっと同じように機能している。
熱いと感じようが常温と同化していようが、私たちの感覚はずっと起動したままだ。
手のひらに限った話ではない。
当たり前のことだが、生きている限りわれわれは常に全身が「ON」になっていて、外からの刺激や内側の圧力や軋みなどを感じ取っている。
その全身を満たす感覚に浸ってみる。
目立つ部分のみに注目するのではなく、小さなものを含めた全体の感覚をよく意識してみるのだ。
いわば感覚の海に浸るように。
そうすることで「私という主体」の統一感が強化される。
その「身体感覚と親密」なあり方は全身の「神経の連携」を健全にし、結果として「元気」と「聡明さ」を向上させてくれる。
2016年5月27日
きれいごと
「きれいごと」で生きたい。
可能なかぎり。
どうせ一度きりの人生、勝手気ままに生きりゃいいと言われても、
ならばこそ、、少しばかりの悦楽を手にして何の意味があるのだと逆に問いたい。
きれい事は、きれいなんだからエライのだ。
きれい事では生きられない?
本当にそうなのだろうか。
2016年5月20日
エアリズム
近年、夏場にシャツの「汗染み」が増えた気がしていて、「前からこうだったかな…?」などと気になっていた。
で、最近ふと注目したのが、ここ数年の夏に着ているUNIQLOエアリズムだ。
そうした速乾系のインナーは「汗を素早く吸い取り、素早く放出する」機能が売りだろうが、その放出された水分がどこへ行くのか考えてみた。
これ、普通に考えてその上に着ているものに吸収されるのではないか。
エアリズム一枚だけで過ごすのなら、汗はどんどん大気へ放出され、爽快この上ないだろう。
しかし私は残念ながらエアリズム一丁で過ごせる猛者ではない。
それだ。
エアリズムだ。
汗がインナーを素早くスルーして、上のYシャツなどにいってる…
肌をcoolにサラサラに保ちます!ただし汗染み全快で!
ってそりゃイカンよ。
夏の車は暑いよ、背中の汗がシートに達したら敵わんよ…。
というわけで、どうも上記が原因な気がしてならないので、早速スーピマフライスに鞍替えした。(やっぱりユニクロ…)
「インナーはコットンに限る」という結論に帰着した最近の出来事であった。
2016年5月10日
余裕がはらむ危険
不調すぎる時は何も出来ないので、ある意味安全だ。
それ以上悪化する危険性は低い。
危険なのは好調な時。
余計な活動をして、悪化させてしまうことがある。
余裕がある時も、基本を忘れないように。
2016年5月9日
2016年5月6日
2016年4月22日
2016年4月8日
2016年3月31日
人の痛み
「苦労なき獲得」が続くかぎり
「怠慢なき喪失」=不条理 の存在に気づけない。
不条理の存在に気づくことは人の痛みが分かるようになること。
挫折と無縁であることが讃えられる社会で、人の痛みを分かろうとしない人間が増産される。
しかし不条理と永遠に無縁でいることは誰にも出来ない。
「不条理への対応法」は、本来もっと探求されるべきだ。
2016年3月6日
整骨院へ行く
昨日整骨院へ行った。
前回の記事にした、痛めた腰をみてもらいに。
筋肉がこわばったまま、固くなっているそうだ。
電気、超音波、針、マッサージをうける。
どれも初体験で、料金は保険がきいて合計2,000円。
色々やったので得した気分にはなったが、結果、フラフラと具合が悪くなった。
軽い故障なら自然に治るのを待つのが一番良さそうだ。
何となく予想どおりであった。
2016年2月28日
2016年2月25日
2016年2月16日
メッセージ
うつ病になると、何もできなくなるものだが、それは「何もするな」というメッセージだ。
そのまま言うことを聞けばいいだけ。
何もしない。
だから何かがうまく出来ないこと嘆かない。
心身が「休め」と言っているのだ。
何もせずに、
休む、休む、休む。
目指すは「停止」だ。
もちろん死ねということではない、
活動を、極力しないということ。
見ざる、聞かざる、言わざる、そして思い浮かべざる。
頭のなかの画や音の再生、すなわち考えごと全般を休止すべし。
心身はわれわれに「活動」からできる限りの距離を置かせ、
その間に何かを取り戻そうとしている。
それをしたくて「今は何もするな!」と伝えてきている。
それに逆らってはいけない。
2016年1月19日
急がない
うつ病での生活では、「決して急がない」ことだ。
何があっても急がない。
締め切りに遅れそうでも急がない。
遅れても急がない。
急がないことを心に誓うと、なぜか逆に案外遅れない。
ところで、「ゆっくり」と同時に「安定」にもこだわりたい。
ゆっくりを意識しすぎてもおかしくなる。
体勢と気持ちがいちばん安定した、しっくりくるポイントが在る。
対外的なことでなく、納得して気持ちよく動けるバランス。
それをいつも大切にすべきだ。
2016年1月13日
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