2019年2月19日

主体


考えがしっかりあることやアクションが早いことなどを「主体性がある」と言う。
そうではあるが、実のところ誰もがいかなる判断をも自分で行なっている。

「沈黙」も「様子見」も、そうすべき何らかの理由を以てそれを選択した。
最終的にはすべて自分が決め、ツケだって払ってきたのだ。
迷い・遅滞・失敗、そういうものもすべて自らの「主体性」の産物である。

私もそうだ。
常に主体的であったことの証拠に、自らが人並みに“わり”も食ったし孤独も知った。
何ら恥じるところのない「適正さ」だ。

主体性がない者などいない。
これまでの人生を勤め上げてきたことに対して誰もが胸を張るべきだと思う。