2015年11月19日

眼鏡、ネクタイ


① ネクタイが首を圧迫
② 眼鏡のツルがコメカミを圧迫


瞑想によってこれらを認識して体調を改善させる。
上記2つは、他の諸々の力みと「併存」していて、
その「併存ぐあい」を体内で想い起こすと、体調が良くなる。


2015年11月18日

目の前への集中


心の健康を保つには、今やっていることに集中するとよい。
考えごとを並行させない ことである。

対象物を睨みつけたり、集中・集中とつぶやけと言っているのではない。
力んだ集中ではなく、自らの行為全体にむけたややゆるい集中になろうか。
行動の始めから終わりまでをあらかじめザックリ思い描き、それに沿って行動してみるといい。
イメージのキープだ。

雑念を割り込ませないための1つの工夫である。





2015年11月11日

今日の音楽:RHYE 『Woman』


運転中によく音楽を聴く。

今日は
RHYE 『Woman』。
  (2013/3/5)

カナダ人とデンマーク人。

男性ボーカル、中性的な声。

まろやか、ストレスなし。

永く聴けている。



2015年11月10日

心の動力


「思考や感情」は、じつは「肉体」の感覚を使って動かしている。

つまり「心」のエンジンは「肉体」だ。

精神の暴走 = 肉体の暴走 なのである。


2015年11月5日

うつ病における真の“療養"


うつ病における真の療養=

「自分の身体を感じながら」生活すること


上記がうつ病における休養の本質だ。

行動の最中に、身体にかかっている力などに注意してみる。

自分の体重が乗っている箇所/疲れている箇所/傾き・ひねり …etc



「寝る」「仕事を休む」などの一般的な療養も有効だ。というか最低限の準備だ。
その上で「身体を感じる日常」にしたい。
そこまでやって初めて十分な療養だ。
極論を言えば、外見上は休んでいなくてもマインドフルであれば療養になるのだ。


心が健康な人ほど、「疲れた―」「休みたい―」など自分の身体の声をよく聞いている。
つまり意外によく休憩するし、ムチャもしない。
感度が高く保たれているのだ。

疲れが折り重なった時ほど、「それを気にして生活できるか」とばかりに更に身体から意識を離す。
悪循環だ。


「無視された身体感覚」が引き起こした歪みを修復し、適正なバランスをとり戻さねばならない。
そのためには、無視された身体感覚を正面から「感じ直す」作業が必要になる。