2017年6月23日

働く場に求めるもの


会社に、パフォーマンスの高さに極端に高い関心を持っている人間がいる。
それ以外に目を向けない、といった感じだろうか。
偉い立場の人だ。自らもその能力の高さで出世し、そしてそれ故、能力の高さというものが人間の主要な価値だと思っているように見える。
仕事において業務能力は不可欠だ。しかしその有無についてでしか人間を語れないなら、それには違和感を覚える。

会社の同僚とは、縁あって同じ場に属することになった間柄である。
絆だとか仲間だとか言う気は無いが、稀な縁であることは確かだ。
そういう他人を「デキナイからあいつは今一つだ」なんてことばかり言っているより、出来ないことが出来るようになる、正しく学べる、そういう「環境」を全員が目指していることのほうが遥かに価値あることだと思う。
そういう体制の上で、できるヤツはできるだろうしできないヤツはどうしてもできないだろう。そこへの評価はあって然るべきだ。
問題は方向性の話。「今日も得るものがあったな」と思える会社になっているかということだ。
人を見て学びたいと思う。感謝したいと思う。
私が偉い立場の人間なら、そういう環境・体制づくりを目指している人間を高く評価する。

「能力や実績」と「成長などの過程」ではどちらが上か、については、後者が上でそれを最大に生かして実績を向上させていくのがが正しいと思う。

「仕事なんて、所詮カネを稼ぐための手段」と言っていられる時代ではなくなっていると思う。
そのように割り切られる人は恵まれているのだ。
仕事を終えて会社を出る。そこに豊かな世界が待っている人はどのくらいいるだろう。
豊かな家庭、豊かな人間関係、豊かな趣味。
世の中の個人主義化はどんどん進み、下手に人と関われない社会になっている。
だから一人でいるという選択は、一時は快適かもしれないが、その快適さを長期間維持できるのは実のところ「恵まれた基盤」を保持する者に限られる。

何だかんだ言って、仕事に関わる時間は長い。
いかにその時間を納得のいくものにするかについて、真剣に考える必要性はますます高まり続けている。


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