うつ病になる人は、完璧主義であることが多いそうだ。
私も完璧主義とまでは言えないが、
合理的であることにはとらわれてきた方だと思う。
合理的でないと頭が悪いと思われるような気がしていた。
そもそも合理的とは、それぞれの場での「
最も効果的なあり方」のことである。
すなわち最も「使える」、「役に立つ」ことが、合理的だ。
しかし私はずっと、形として最小に整い、言い負けることのない、合理的「風」に見せるだけの演出めいたものを求めてきた気がする。
その場に「本当に必要なもの」を直視しなかったのだ。
そういった習慣は、うつな者にはとりわけ良くない。
うつ病になったら、何よりも「できること」をやらねばならない。
理論としていかに強固でも「やれない」ならば意味がないし、「やれなかった」だけで終わるならまだしも、うつ病では小さな挫折感でさえ容易く症状の悪化要因になる。
自分にも、そして回りの環境にも、必ず「クセ」というものがある。
「クセ」は「限界」と言い換えてもいい。
単純な正論ではない、実行可能で現実的な1手を打つこと着手しなければならない。
「正しさ」にひた走りたい気持ちはよく分かる。
しかし、その衝動をひとまず傍らに置き、最大限
穏やかに、静かにする。
慣れ親しんだこと、更にその中の、「
やれること」に着手する。
うつの療養においては、そのように「小さく手を打つ」する姿勢が最も重要だ。
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